就労移行・就労継続支援B型・就労定着支援事業所 ステップハウスわ!
   特定非営利活動法人 ステップハウスわ
   より豊かな人間性を育み、社会参加に向けてのステップアップを目指します。
2012年9月
わ!だより ~活動の記録~:10
2012年09月26日


9月19日(水)
日中の陽差しは強いですが、朝夕がグッと涼しく感じられます。
メンバーもチラシ配布に参加人数が増えました。
これから、秋らしい天候になるのでしょうか?!
寝冷えしないよう、体調に気をつけましょう。


9月20日(木)
秋らしい天候です。
今日はリビング新聞の折り込みと配布。
配布は中山下、京橋を徒歩で配布終了。
後は集合を車で配るのみとなりました。
お疲れさまでした。

明日は調理実習です。
 なんと牛肉ですヨ。ビーフシチュー、2kgの牛肉をワインに漬け込み、ローリエ、セロリの葉も投入仕込み。
 そしてきのこスパゲッティは明日当日に料理です。


9月21日(金)
食欲の秋がやって来ました!
やはり、気候が穏やかになると気分もよく、活動も活発になり、結果食べ物も美味しくなります。
今日はサッサと各自料理に取り組み、なんと12時には皆が食卓につき、いただきました。
メニューはきのこスパゲッティ、ビーフシチュー、野菜サラダ。サラダのドレッシングも、もちろん手作りです。
残念なことが1つだけありました。牛肉の値段が高く、いつもは会費200円ですが、今回は300円。
でも、みんな満足したようです。


9月24日(月)
今週で9月は終了です。
残念ながら、今日のチラシ配達は無し!!
午後から配ろうと来たメンバーですが、水曜日はプラザ配布が必ずあると聞いて、納得してくれました。
ホッと一安心。
朝夕涼しくなり、今朝方は寒さを感じる程でした。
寝冷えに注意しましょう。


9月25日(火)
今日は、就労に向けて、見学&面接に取り組むメンバーたちが、履歴書や職務経歴書作成し、ソーシャルスキルトレーニングする日です。
各自が自身の体調に合わせてチャレンジしました。
発語が苦手なメンバーは次回朗読にチャレンジ予定です。




          byしょこらもち


2012年09月21日
今日はみんなで、キノコスパゲッティーを、作って食べました。
僕は、キノコを、ハサミを切ってほぐしました。ビーフシチューや、
サラダを、食べました。おいしかったです。
                      by刺し子
2012年09月19日
9月14日(金)
湿度が高い1日でした。
明日から3連休ですから、ゆっくりと体調を整えましょう。
来週は調理実習もあるので、何の料理が作って食べてみたいのか考えて
火曜日の朝の各自挨拶で発表する予定です。


9月18日(火)
3連休中に大型台風16号の影響で天候不順でした。
今日も雨が降ったり止んだり。
チラシ配布が無くてよかったです。


            byしょこらもち

2012年09月14日
9月13日(木)
 リビング新聞折込み&配達の日です。
天候が気になりましたが、なんとか晴れ間続きで、昨日同様の暑さでした。が、メンバーたちは頑張って配布終了。お疲れ様です。
 また、備中保健所に研修中のメンバーを陣中見舞いしました。
白系シャツブラウスに黒タイトスカートでオフィスガールの雰囲気。
フェミニンからキリッとお仕事モードになっています。
就労に向けてステップアップした姿にエールを送ってきました。

                  byコイチ
2012年09月12日

9月7日(金)
午前午後と来週月曜日誕生日会のためのデザート作りと買物に取り組みました。
朗報です! わ!のメンバーのゴリゴリ君が無事卒業です。
A型事業所、それも、自分が希望する葡萄農園。
岡山⇔万富間の電車通勤で、本人が不安なので月曜始発に同行!?予定です。


9月10日(月)
今日は誕生日会、メンバー&スタッフ6名です。
なぜだか、ステップハウスわ!の誕生日は2月と9月に集まっています。
誕生日の月のメンバーたちの要望したメニューは麻婆豆腐、豆乳ムース、ゆずママレード入りパウンドケーキ&葡萄と盛りだくさん。
みんなでハッピーバースディの歌でお祝いしました。
また、今回からDM配達のお仕事依頼があり、嬉しいですね! ファイト


9月11日(火)
今日新しいお仕事DM配達チャレンジでした。
また、天候不順で深夜雷雨、そして日中も晴れ間だと思っていたら突然の雨です。
体調に気をつけましょう。



          byしょこらもち


2012年09月11日
―――8月20日、早朝―――
 よく眠れなかった。乗り物酔いをするのに、寝られないとはどういうことだ。眠らないとより酔い易くなるのに。
 まだ陽も登りきらない時間に、ごそごそと準備を始める。
 2週間前、叔母からの突然の誘い。パスポートは切れてることだし、断ろうかとも思った。実際、今までだって何度かお誘いがあったけれど断ってきた。
「アンネの旅だって」
 電話が苦手で、電話だとまともに話が聴けない私の代わりに、母が応答してくれる。
 アンネ・・・・・・だと・・・?
 アンネ・フランク。アンネの日記の作者の足跡を辿る、とあっては、ぐらぐらと気持ちが揺らぐ。
 アメリカ時代に授業で映画を見た。日本に帰ってからは演劇も観た。アウシュビッツはそうそう行ける場所でもない。
 意を決した私の行動は早かった。翌日にはパスポートの申請を済ませ、申し込みもした。
 残念ながら全部自費で、とはいかなくて、親に援助してもらう形だが、なんとか出発までこぎつけた。

 叔母達は関西国際空港からインチョン空港に飛ぶのだが、私は決まったのが急すぎて、その便は取れず、岡山空港発だった。
 同じくらいの時間に着くから、乗り継ぎの空港で待ち合わせれば問題ない、ということで、一人出国。新幹線ならよく乗るけれど、飛行機はひとりでは初めてだった。
 私の利用比率は、新幹線>飛行機>在来線>バスだから、在来線でも緊張はするのだが、あれは線路があるからまだ大丈夫。線路のないバスとなっては駅行きしか乗れない臆病な私だが、まだ利用できる。
 久々の飛行機の感覚に、懐かしさを覚える。そうそう、10年前までは年に1回は乗ってたのに・・・・・・とまで考えて、あれ、もう10年前だと・・・? とちょっと焦燥感を覚えた。時が経つのは早い。
 年齢の話はともかく、姉の結婚式以来の感覚だ。あの時は父もいた。日本に一時帰国する時でさえ、姉と一緒だった。おおお、完全なるぼっちの飛行機は緊張する・・・!
 酔い止めの薬のお陰で酔うことはなく、それでも頭の中はぐるぐるとしていた。インチョンで待ち合わせちゃんとできるだろうか。下調べでは、乗り継ぎはそんなに難しくないらしいけれど、大丈夫か。やはりやってみないと不安は尽きることはなく、機内食の味は憶えていない。

 インチョン空港で飛行機から降りると、韓国語と英語と日本語で乗継案内されていた。さすが韓国。TVが作った韓流ブームで日本人観光客多いんだなぁ、と遠い目になりながら、必死でTransferの文字を追っていく。途中で手荷物検査があり、美人さんが怖い顔して『帽子取って』といってくる。忘れてた。被ってたままだった。(出国のとき何もいわれなかった)
 探知機は反応せず、無事に通過し、チケットに書いてあるゲート番号まで急ぐ。到着は5分違いのはずだったから、余裕はあるけれど、場所は確認しておきたい。
 動く歩道に足を取られつつ、ゲートに急ぐ。日本語で『ゲート』と表示があるのは、微妙な気分だけれど、少し心強い。これで英語もなく韓国語しかなかった日には、涙目で英語で迷子ーと叫ぶだろう。

 無事に落ち合うまでは、と気を張ったまま待合の椅子で音楽を聴く。精神安定、精神安定、と心の中で念じながら叔母を待つ。しばらくして叔母達と合流できて、搭乗時間までは自由時間、となり、叔母とふたりで空港をうろうろ。通貨計算が面倒なので、叔母がカードでハーゲンダッツを買ってくれた。良かった。喉乾いてたんだ。
 12時にはデモンストレーションらしきもので、韓国の民族衣装を身にまとった方達がパレードをしていた。写真大好きな叔母はここぞとばかりにカシャカシャと撮影。
 そんなこんなしている内に、搭乗時間。乗継時間は2時間しかないのだ。日本⇔韓国で遅れる事は早々ないのだろうが、国際線の乗継時間としては本当にギリギリだ。遅れたりしたらアウトだろう。

 10時間以上の長旅。通路側でもたれる物がない。空気を入れて膨らませるタイプの枕はもっていったけれど、結局お腹の上に乗せてぎゅうぎゅう抱きしめているだけだった。ないよりは精神安定になったからいいのだけれど。
 昔から機内でやることは決まっている。映画だの、音楽だのあるけれど、ゲーム。これから暫くゲームともおさらばの生活になる、と思うと余計にやりたくなるものだ。
 反応が悪い・・・・・・ コントローラーを前の座席の後ろに戻して項垂れる。押しても反応する時としない時とある。格闘ゲームのストリートファイターが入っていたけれど、この反応速度じゃ無理。レーシングゲームもいくつか入っていたが、3D酔いしてしまい楽しめない。
 機外カメラという機能があって、前方、下方、後方の様子がわかる。仕方ないのでそれを付けてしばらく見入る。
(夜が追いかけてくる)
 イメージとしてはそんな感じだ。アメリカに飛ぶ時は夜を追い越す感じだったが、そうか。反対方面だから、夜は追いかけてくるのか。
 前方は常に明るく、後方は見始めたころからずっと暗かった。カメラの映像がよければ星でも光っていそうな空。
 神秘的な空の様子に、現実感がなくなる。そうだ、これは夢でも見ているのだ、と。

 機内食は思いの外美味しく(と言っては失礼なのかもしれないが、某航空会社では機内食は期待できなかったので)、脚の浮腫みが気になる以外は、キャビンアテンダントさんも親切。日本人のお客さんには日本語で話しかけてくれる。英語で訊かれても、ぱっと解る日本人が少ないのだろう。
 長い間座ったままの姿勢。やはり身体がだるい。眠れなかったのも大きいけれど、うとうとはしたから問題はないだろう。
 夏でも寒いと聴かされていた初ヨーロッパ。EU圏への入国は、随分と軽い。前のひとは色々と質問されていたけれど、日本からの観光客はパスポートを見せればすっと通してもらえるような。それだけ日本が外国に対して信頼を得ていると喜んで良いのか、日本人はどうせ訊いても質問にすら答えられないから、と馬鹿にされているのか判断に困るところだ。
 フランクフルトの空港は、工事中なのか、デザインなのか、配管が剥き出しの天井が印象的だった。無事に荷物を受け取り、専用車へ乗り込む。すごく豪華なバスが迎えてくれて、あれ、これは、いいのか?? と少々不安になりながらも、ふかふかの座席を楽しむ。

 7時間日本とは時差がある。緯度は日本よりも高いので日が暮れるのは遅い。感覚としては2日目だが、日付としては20日。得したのか損したのか、よくわからないままフランクフルトを走る。車窓から色々と見ながら、ライン川沿いにある、リューデスハイムに向う。
 可愛らしい町、可愛らしいホテル、陽気なひとたち。
 夕方ホテルに着いて、食事をして、散策。
 夜の町には、ライブ音楽が溢れ、ジェラート屋さんが近い距離にいくつもある。道路にはカフェなのかバーなのか、月を見ながらお酒を楽しむひとたち。カメラ片手に移動していると、『こんにちわー』と怪しい発音が聴こえてくる。酔っ払いが日本人を見つけて、知ってる単語を言いたくなったらしい。陽気な大阪のおばちゃんたちはそれに『こんばんはー』と返す。なんとも陽気な応酬である。
 平日の夕刻だが、労働条件がきちんと決められていて、残業などないらしい。サービス残業なんてなんだそれ、の世界だろう。宴会は毎日くり返されるのだという。それでも日付が変わる前には人々は静かになっていた。
 普段、そこまで気温が上がることのない地域なのか、ホテルの部屋に暖房装置はあっても冷房装置がない。珍しいほど気温が上がっていたその日は、鉄道の近くで列車が何度も通る音が煩いせいもあって、よく眠れなかった。

―――8月21日―――
 眠れないので、早朝、陽が昇る前に叔母と散歩に出た。カメラ片手に、夜明け前の風景を撮っていく。小さな小さな町。ライン川沿いに鉄道が、山の手にはぶどう畑が広がる。石畳は所々直されて舗装されている部分もあるが、大部分は昔のままの形を留めているらしい。昨夜の散歩でお祭り騒ぎだった広場では、議論好きのドイツ人が何か話していたが、生憎とドイツ語は知らないので、聴き取ることはできない。掃除を始めている住人達に『グーテンモルゲン』と声を掛ければ、『モルゲン』と返ってきた。あぁ、成る程。『グッモーニン』を『モーニン』と略すように、モルゲンだけでも良いのか。
 朝食はビュッフェ形式。おば様方はあれもこれも、と珍しいものは片っ端から取っていく。私はソーセージとハムと野菜。パンも美味しいのだろうけれど、お腹が膨れるし。フルーツとヨーグルトを取って、オレンジジュースを飲んで。簡単に済ませた方がいい。
 ライン川下りの前にホテルの隣でポストカードを購入し、船に乗り込んで一息。川の両側に点在する城や街が、御伽話の世界だった。船内ガイドには日本語まであって、一体何ヶ国語で放送されていたのか。
 ガス抜きの水を購入して景色を楽しみながら喉を潤す。船内で手紙を書き、写真も撮る。ライン川に詳しい方が、英語で色々説明してくれた。 
 日本人の観光客もちらほら乗っていて、聴こえてくる日本語に、ここはドイツなんだ、と自分に言い聞かせていた。そういえば同じような事をグランドキャニオンでも思った気がする。日本語をわかるひとがいない、と思ってはっちゃけると、突っ込まれて恥かしい想いをする。経験済みなので、そんな馬鹿はしない。
 4時間景色を楽しんで、お昼はカフェでソーセージを。保存食なので仕方ないけれど、ソーセージもハムも、マッシュドポテトとザワークラフトと一緒に食べても、まだ塩辛い。おば様方は臆せず『まずーい』というけれど、文化を否定するようなことやめましょうよ。確かに辛いけれど。
 フランクフルトまでバスで戻り、アムステルダムまで飛ぶ。ドイツ⇒オランダは同じEU圏のため、出国手続きなどの面倒ごとはなく、手荷物検査で終わる。2時間も乗ってなかったんじゃなかろうか。小型機はすぐにアムステルダム空港に到着。岡山⇒韓国も1時間半くらいだったから、国内の方が時間かかることには最早慣れた。ドイツ語特有の発音から、聴いたことがないイントネーションに。それでも、幕末に一時期熱中していた私にとって蘭学の地、オランダはとても興味深かった。
 大型バスに乗り、車窓から観光。自転車大国らしく、自転車ゾーンがはっきりと別れており、たくさん走っていた。車道はそれ程広くはないが、縦列駐車をしているからそう思うのかもしれない。歩道も広く、カフェは歩道に店を広げており、自転車は歩道ではなく、まっすぐ車道の近くのゾーンを走る。日本も同じようにすればいいのだが、これほどの道幅を確保するのは難しいだろう。
 都市部から少し外れた場所にあるホテルは、近代的で、勿論空調がある。時間的には夕食時ではあったが、旅行中ずっと食べすぎの状態なので遠慮した。



―――8月22日――― 
 ゆったりとした時間を過ごす。連泊なので荷物のパッキングは気にしなくていい。インターネットサービスを利用して、日本の友人達の様子を見る。片付けた仕事の返事は来ているか、何か面白いことは起きていないか。日本はもう昼過ぎで、顔を出しているひとはいなかったが、大好きなサイトが更新されているらしいのに、アドレスが出てこないのでのたうった。日本語化けないPCで良かったけれど、検索をかけようにも流石に日本語が打てるわけはなく。泣く泣くブラウザを閉じる。
 ホテルの売店で切手を買い、メールボックスに投函する。アンネの隠れ家、通った学校や、集められた劇場などを見てまわる。隠れ家は博物館になっており、現存する写真や映像を急な階段のある隠れ家を巡りながら見る。住宅街にある学校は、特別プログラムが行われているらしい。地元のスーパーはやはり街よりも物価が安いようだった。
 昼食後はダイヤモンド加工工場と国立美術館。頑張ればなんとかなる値段だが、見るだけでいい。充分眼福。国立美術館は駆け足での鑑賞となったが、思わず脚を止めてしまう作品が多かった。半日とか1日時間を割いてもいい場所だ。
 街を歩きながら、添乗員さんが、こっちはドラッグが多いから、コーヒー飲まないか、って訊かれても着いていってはダメだと教えてくれた。カフェならいいが、コーヒーショップはダメ。それにしてはコーヒーショップが沢山あったけれど。
 食事場所は他の観光客も利用する場所らしく、キッシュや他のメニューも充実していた。牛ステーキだったのだけれど、アメリカ時代に食べたステーキを思い出す程硬く、おば様方は四苦八苦しておられた。



―――8月23日―――
 ゆっくりと過ごすけれど、今日は移動。アムステルダム空港からワルシャワ空港へ。オランダ⇒ポーランドもEU圏なので煩わしい手続きはない。少し遅れて空港で待ちぼうけになるが、飛行機は遅れるものだと父から教わっていたので動じない。お店でジュースを仕入れて、眠ってしまいそうな頭を起こす。ガムを噛んでいるとやっと搭乗。30分か、1時間か。待ち時間はあったが、飛行機は順調。1時間程でポーランドのワルシャワへ。ここは通称ショパン空港と呼ばれているらしい。
 ワルシャワ大学で日本語を学んだという女性が出迎えてくれ、案内をしてくれた。旧市街でズウォッティに両替し、貨幣価値が解らずに右往左往。これは安いのか、高いのか。
 5千円が190ズロッティ。マクドナルドのセットの値段が、10ズロッティ前後。250円程度でマックのセットが食べられる計算。日本の半額~1/3程度の物価だろうか。そういえばアムステルダム空港でサポートしてくれた日本人の男性が、『僕は歯の治療をしにポーランドに行きましたよ』といっていた。交通費+宿泊費+治療代を合わせても、ポーランドで治療する方がオランダで同じ治療をするより安いらしい。オランダは元々税率が高い上に物価も高いらしいので、仕方ないのかもしれない。
 旧市街の町並みは修復途中の場所もちらほらあった。ワルシャワほう起のモニュメントがあちこちに残っている。石畳の場所は車は進入不可で、観光用の馬車が行きかっていた。ストリートパフォーマーも数多く、パントマイマー、チェロ、木琴、ダンサー・・・・・・チップを持っていないのが残念なほど。
 ショパンの心臓が埋まっているという柱がある教会には、他の偉人の心臓も眠っているらしい。ヨーロッパでは心臓は墓ではなく、本人の希望する場所へ持っていく風習があるらしい。
 沢山歩き、やっと夕食の段となり、ショパンの曲がかかっている店へ。薄暗く落ち着いた店内に、ショパンの音楽が流れる。食事も美味しく、これで聴こえてくるのが大阪弁でなければなぁ・・・とひとり頭から日本語を追い出した。
 ホテルは都市部にある近代的なホテル。体温調節が苦手な私には有難い。



―――8月24日―――
 急遽入った観光予定にバスの運転手さんがイライラ。クラクフまでの長距離ドライブは、最初から黄色の点滅だった。ショパンの生家に途中で寄り、4時間程で着くと見込んでいたらしいが、結局6時間以上かけてクラクフへ。添乗員さんは頭にきたらしい。酔い易いのでバスでも前の方に座っていたのだが、そのせいでイライラとした痛い空気がブスブスと刺さり、気分が悪かった。結局クラクフに着いたのは夜遅く。バスの中でガイドさんがホテルと連絡をとり、着いたらすぐに食事だったが、あまりにも気分が悪くて泣く泣く少量食べて後は残した。
 早めに食事を切り上げて、部屋に戻り、洗濯をしてベッドに潜る。イライラが止まらず、精神的に不安定になって収拾がつかない。癒しの音楽を聴きながら、アイマスクと乾燥防止にマスクをして布団を頭から被る。何度か起きて水分補給をして落ち着こうとする。深夜にベッドでゴロゴロしながら、思いっきり楽しい曲を聴いて、意識を現実から遠ざける。非常時は現実を見ても仕方がない。落ち着くことが先決だ。


―――8月25日―――
 朝食を摂って、ゆっくり観光に出発。川沿いを歩いてバベル城へ。教会見学をして、バベル城も見学。川沿いは風が涼しいが、城の中は風が遮られていて暑い。湿度がない分マシなのだろうか。その後も市街地を見学するが、町並みが可愛らしいので、デジカメのデータがすごいことになっている。レンズ越しの景色よりも、肉眼で見た方がいいとわかっているが、土産話には写真があった方がエピソードを想起しやすい。容量には余裕があるし、充電はホテルでできるから、まぁ大丈夫か。
 元ユダヤ人街を見学。この旅行で初めて猫に会った。鳥や犬はいるけれど、猫は見かけなかったので久々。その後、路面電車に乗りたいという他の方の希望を叶えるために狭い区間だが乗車する。その前に地元で有名らしいアイスクリームショップで喉を潤す。飲み物よりもアイスの方が安い国なのか。
 織物会館で自由行動。沢山店がありすぎて疲れる。クラクフのマグネットと木彫りの小さなスプーンを購入。実用的で場所を取らないものじゃないと邪魔になる。ポストカードは今から出しても大分待つことになるので見送った。広場近くの店で食事をして、夕闇に染まる街を歩く。夕方になると涼しく過ごしやすくなった。



―――8月26日―――
 クラクフでの3連泊もこの日が最後なので、洗濯の乾き具合が気になる。
 旅の本番、アウシュビッツ見学。広い土地に再現された建物もあれば、残っているものも。博物館になっているが、第2収容所の方はほぼそのままの形で残っている。ユダヤ人の学生らしき集団がいて、日本人が広島や長崎に行って平和学習をするようなものなのか、と思い至る。彼らは一体どんな想いでそこを見たのだろう。


―――8月27日―――
 クラクフからドイツのツェレという街へバスに乗って移動。時間があれば着いてから観光、ということだったが結局観光はできない時間に。高速道路を飛ばして、12時間程、800kmという行程を二人の運転手さんが交代で運転していた。ポーランドからドイツへの国境は、以前は入国管理局があったが、いまは素通りできる。跡地はあるが、使われていない。残りのズロッティはさっさと使ってしまうために、ガソリンスタンドに併設されたショップでお菓子を買った。長い長い道程、甘いものでカロリーを補給しつつ、眠りに着いた。
 夕方に着いたツェレという街は可愛らしい童話の中にあるような町。小さな小さな町というよりは村的雰囲気を持っているが、とても親しみやすい場所だった。夕飯に訪れた市役所のレストランは由緒正しい歴史があるらしく、雰囲気がとてもいい。ウェイターのお兄さんの接客は親しみやすく、少しだけ日本語を話してくれて、好感が持てた。


―――8月28日―――
 午前中はベルゲンベルゼン収容所の見学。イギリス軍が撮影した収容所開放のときの映像。ひとが、まるで人型に成り下がったような扱い。死体だから生命はもうないのだ、戦争での死体処理などこんなものだ。自分に言い聞かせてみるが、どうしたもざわつく。餓死した身体は、骨、皮、筋。人間はここまで痩せられるものなのかと、怖くなる。穴に投げられる死体。ブルドーザーで押し出される死体。処理しなければ衛生上問題があるといえども、ひとつの生命であったものが、人形のように大量に、一気に、動かされる映像に、身体の力が抜けていく。アンネの墓にいく道すがら、涙が止まらなかった。戦争のやるせなさ、戦後の処理。仕方がない、といえるのはどこからどこまでなのか。それでも集団行動をするため必死で涙を止める。ぐらぐらと揺れる感情を持ち直すのに必死で、空港に着いてもぐらぐらしていた。
 自分が生きている意味、生かされている意味、戦争で起ったこと。渦巻く感情に、どうして平静でいられようか。
 重たい気持ちのまま、飛行機に乗って、フランクフルトで出国をする。物悲しい想いはこの地に置いていかなければ、日本に帰っても精神状態が悪くなる。それだけは避けなければ。皆さんが最後の買物をしている間、空港の休憩場所でひとりで音楽を聴いて仮眠を取る。建て直しには時間がかかったが、飛行機に乗る頃にはほぼ回復していた。
 10時間また飛んでも、日本にはまだ着かない。天候の状態が悪いのか、1時間遅れで29日の18時に関空に到着。日本に帰ってきて一番にした事は携帯の電源を入れること。母にメールし、友達に挨拶し、やはり日本はいいな、と実感する。叔母達と別れて電車に乗って、新大阪でおにぎりを購入。どうしても、米が食べたくて。


 

 全体を通して、バタバタとした日程で、あっという間で、そんな忙しない時の流れであっても、私の精神状態は安定しなくかったが、そこまで急激に不安定になることがなくて、ほっと一安心。
 その土地にはそこで育った人たちの、そこの文化があって、特に食文化というものは、特色がよく出るもの。それを否定することは、その土地の民族を否定することで、それをけなすくらいなら、日本から出なければいい、と切に思う。口に合う、合わないはあるかもしれないけれど、それを店の中で言われるのは、特に観光地の人は嫌なんじゃなかろうか。日本人だって“ナスティー”とか言われたら嫌だろうがああああ、と。雰囲気で伝わるものです、感想というものは。素直に食に感謝したいのに、ちょっと残念。
 戦争と平和は、ずっと考え続けなければいけないことで、考え始めると不安定になって、何が正しいかなんて答えはなくて。大量虐殺なんてもの、創作の中にしか考えたことないが、思えばイラク戦争だって、自分が生まれてからなんだ、と。その原因だったテロは、アメリカにいる時にあったのに、他人事のように感じていた。
 人間は学習する生き物のはずなのに、歴史から学ばずにくり返してしまうことも多い。学習する力が、もっと、もっと、平和を求める気持ちが、もっと、もっと必要だろう。平和だから、いま、旅行できた。平和だから、いま、暮らしている。平和だから、いま、生きていられる。
 当たり前の日々に感謝を。旅行中ずっと聴いていたCLOSERが頭の中でくり返す。
“あなたが最近体験した幸せは一体なんですか? 恵まれすぎていて思い出せないかも
 いまここにいること 息をしていること ただそれだけのことが 奇跡だと気付く
 身近にあるもの 常に気をつけてないと あまりに近すぎて 見失ってしまいそう”
 身近にある幸せに感謝を。後世に憎しみよりも、幸せの連鎖の方が残っていけばいいと願って止まない。
                        by ちぃ
2012年09月07日
9月5日(水)
季節の変わり目。朝夕は肌寒く、今日も陽射しは厳しいです。体調に気をつけましょう。その中をチラシ配布を分担し完了。お疲れさまです。
午後ジョブガイダンス5回目、終了です。次は就労へ向けて面接GO!!
明日はリビング新聞折込配達そしてサンさん岡山パン販売。ファイト。

9月6日(木)
サンさん岡山パン販売です。そしてリビング新聞チラシ折り込み、なんと6枚もあります。なんとかメンバーみんなで取り組み。その後予報で午後雨といわれ、急遽昼食時間の前倒しし、配達時間を早めました。が、??雨は降らず?!まあ、でも無事終了。お疲れさまでした。
                   by MH
2012年09月07日
今日は、2人で、豆乳ムース作りを、しました。僕は、豆乳を、  
入れたりして、生クリームをハンドミキサーを、したりしました。
僕は、混ぜるのを、得意料理をして、がんばりました。
来週の月曜日は、誕生日会です。    
                      by刺し子
2012年09月05日


9月3日(月)
9月です。今朝は晴れて、今日の予報は曇り、なのに昼前から突然の雷雨が!?
メンバー会議の後、チラシ配布予定でしたが取りやめました。
帰る時またまた激しい雷雨、ところが灘崎はその時一滴の雨も降っていなかったとか、驚きです。



            byしょこらもち
2012年09月03日
8月30日(木)
今日で今週は終了です。明日が代休のため。残りのパワーを出して、サンさん岡山パン販売と合同面接会と、各自が取り組みました。お疲れさまでした。
来週月曜日はメンバー会議です。みなさん、よろしくお願いいたします!
             by MH
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